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星の国から星の街へ(旧 ヴァン・ノアール)

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2025.05.19
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カテゴリ:本帰国で再発見!
 「モナリザ」のモデルが誰なのかは美術史最大の謎のようですが、先週水曜放送のNHK「歴史探偵」の「天才ダヴィンチ3つのミステリー」で何だか謎が解けたような気持ちになりました。

 モデルの第一候補が
​フィレンツェの裕福な商人の妻「リザ・デル・ジョコンド」である事は2021年のシンガポールで開催の「ダヴィンチ展」で知りました。「歴史探偵」がこの説に異議を唱える理由はリザが商人の妻であれば必ず指にはめているはずの結婚指輪をしていないという点です。

 そして番組で第二候補に挙げたのが、ダヴィンチのパトロンだったメディチ家のジュリアーノ閣下の愛人という説です、実際にダヴィンチから愛人の絵を描いていると聞いた人物の証言が「美術家列伝(1568年版)に書かれているようです。ただこの説もダヴィンチがモナリザを描き始める前にジュリアーノ閣下が他界しているので当時発注を受けてから描き始めるのが通常だった事を考えるとこの説にも疑問符を投げかけています。

         
ダヴィンチが亡くなるまでの3年半を過ごしたお城 ​ お城の中のダヴィンチの工房​

 最後の第三候補として私にも驚きだったのがモデルはダヴィンチの母親であるという説です。ダヴィンチは母親の身分が低かったため父親との結婚を許されず非嫡出子として父親の下で幼少期を過ごしているため母親への思いには人一倍のものがあったようです。そして母親と再会出来たのがダヴィンチが41歳の時でその前年に母親が再婚した夫が亡くなったためダヴィンチを頼ってという事のようです。再会後、1年間ほど母親と一緒に暮らし、亡くなってから「モナリザ」を描き始めたという経緯だそうです。

 ネットで検索するとダヴィンチ(1452-1519)がモナリザを描いたのは1503年~1506年とあり、ダヴィンチが51歳の時に描き始めた事になります。その後64歳でフランス国王フランソア1世にフランスの文化振興のため招かれ、アンボワーブにあるクロリュセ城で3年半を過ごします。弟子たちに絵画の技法を教えながらもモナリザは修復のような形で描き続けられたのではと思わせる番組の内容でした。

 母親がモデルであれば指輪をしていない事や喪服やベールを被っている事もすんなりと納得がいきます。そしてモナリザ(母親)の顔は若かった時のダヴィンチの理想の女性として描いたのではという番組でのコメントで天才ダヴィンチもやっぱり人の子という親しみも湧き、こんな情報を持ってもう一度名画と対面してみたいと思いました。






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最終更新日  2025.05.19 10:50:04
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