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カテゴリ:猛虎異人伝
![]() 列伝9 ウィリー・カークランド②
1968(昭和43)年、貧打に悩む阪神は、打線の強化のために近鉄バファローズから「打てる三塁手」小玉明利を獲得して内野を補強した。一方で山内一弘の抜けた外野の穴埋めは外国人選手に絞り、2月6日、カークランドと契約している。 カークランドは3月2日に来日、この時の発表では年齢34歳、身長186㎝・体重95㎏で、8年前の来日のときに比べると11kgも体重が増えており、見た目の迫力は増していた。与えられた背番号は「31」。 翌日チームに合流すると、甲子園でいきなり120球の打ち込みを行なった。サク越えが20本以上、打球のほとんどは右方向という典型的なプル・ヒッターだ。 マスコミの取材に対して「自分としては、本塁打30本以上、打率2割8分、100打点ぐらいを目標に考えている。」とコメントしている。 (4)衝撃的打棒でオープン戦を席巻 3月6日の対東京オープン戦、カークランドは4回にランナー2人を置いて代打で初登場。カウント2-2からの5球目を詰まりながらも強引にライト・ラッキーゾーンに打ち込んで派手なデビューを飾った。詰まってはいても打球の速さはさすが大リーガーならではのもので、関係者の評価も急上昇、阪神ファンの期待も高まった。 結局、オープン戦では18試合で57打数13安打8打点5本塁打を記録し、打率こそ2割2分8厘だったが、そのパワーは他球団を驚かせるに十分なもので、左打ちながら浜風をものともしない破壊力は頼もしく、貧打脱却に期待が膨らんだ。 (5)安定しない調子の波 1年目のシーズンは、カークランドが阪神在籍中でもっとも働いたシーズンなので、詳しく紹介しなければならないだろう。 開幕戦となった4月6日の対広島1回戦、4番センターで公式戦に初出場。この日はノーヒットに終わったが、翌7日の広島2回戦の1回裏、外木場義郎から第1号2ランを放つ。ところが、4月10日の産経戦で第2号を打ってから、その後ピタリとホームランが出なくなり、結局4月はこの2本だけに終わっている。 5月に入ってもあまり調子は上がらず、5月5日の産経戦で延長10回にサヨナラホームランを記録したのが目立つ程度。 5月の月間本塁打は4本、5月終了時点の打率が2割5厘という内容では、首脳陣の間に急速に不安が広がったもの無理はない。その成績がひびいたのか、チームも最下位争いをする苦しい状態が続いていた。 しかし6月に入って、やっとカークランドにエンジンがかかる。1日から3日にかけての巨人3連戦で、試合こそ三連敗だったが、カークランドは3試合連続のホームランを放った。これをきっかけに波に乗り、6月の月間成績は打率2割7分1厘で11本塁打と気を吐き、ズルズル落ちそうなチームをなんとか支えた。 が、ホッとしたのも束の間。7月になると再び当たりが止まり、ホームランは上旬に2本打っただけで、7月11日以降の10試合ではヒットが出たのがわずかに1試合という大スランプに陥ってしまった。7月終了時点で、阪神は首位巨人から10.5ゲーム差の4位に低迷しており、とても優勝など考えられない状況になった。 (6)カークランド8月の猛チャージで優勝争いに殴り込み 「もうあかん!」と阪神ファンが諦めかけた8月、阪神は突如として奇跡的な快進撃を始める。 まず、8月2日からの広島3連戦に3連勝。6日の中日戦には敗れたが、翌7日は満塁を含むカークランドの2打席連続ホームランで大勝し、これを皮切りにして15日まで7連勝。 18日の中日戦で再び1敗するも勢いは止まらず、20日から31日にかけて驚異的な9連勝を飾り、月間成績は球団記録の19勝2敗。8月が終わった時点で首位巨人との差は、1.5ゲームにまで縮まった。 とても「死のロード」とは思えない猛チャージだったが、この間のカークランドの数字がものすごい。21試合で79打数32安打29打点、本塁打は満塁2発を含む12本、打率は実に4割5厘で、今なら文句なしの月間MVPである。絶望的だった阪神は彼の活躍で息を吹き返した。 (7)明暗を分けた「バッキー・荒川乱闘事件」 9月に入っても阪神はしぶとく、カークランドが9月15日の産経戦で1試合3発を記録するなど、ついに巨人を1ゲーム差に追い詰め、9月18日のダブルヘッダー直接対決で雌雄を決することになる。 第1試合は、村山が巨人を完封してゲーム差なしに詰め寄ったが、第2試合は有名な「バッキー・荒川乱闘事件」(猛虎異人伝3 ジーン・バッキー③ | タイガース非公式サイト2代目 - 楽天ブログ)で大荒れとなり、カークランドの第36号も焼け石に水で、2対10と大敗した。 この試合でバッキーが負傷し戦線離脱。ここから気力を失った阪神は、見る見るうちに後退し、最後は5ゲーム差の2位でシーズンを終えている。 カークランドという選手は、集中的に爆発する反面、スランプになると脱出に時間がかかった。不調でもかたくなにフルスイングを続けるため、三振が多いのも困りものでエンドランのサインなど空振りが怖くてとても出せない。 ともかく、1年目のシーズンで36本という結果を出したカークランドは、阪神打線の中軸に定着し、6年間活躍することになる。2年目以降は30本以上を記録するシーズンはなかったが、意外性のある打者として、数字以上に阪神ファンの人気は高かった。 ウィリー・カークランド③へつづく 1年目のカークランドさんは数字が示すようにすごかったんだね! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2025年05月15日 10時35分37秒
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