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JINさんの陽蜂農遠日記

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2025.05.24
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カテゴリ:JINさんの農園
・「浅草神社」の「社殿」を正面から。
  
浅草神社 ( あさくさじんじゃ 東京都台東区 )

賽銭箱」。
 


拝殿内」を見る。
薄暗い拝殿内で金色の御幣が鈍く輝き、右大臣、左大臣の随身が守護していた。

浅草神社 (東京・浅草)|少人数挙式・家族婚なら家族挙式
 
金色の御幣をズームして。



漆塗りと鮮やか色を用いた浅草神社の社殿の右側
極彩色豊かな浅草神社の社殿をよく見ると、さまざまな生き物が描かれているのが分かるので
あった。



鳳凰(ほうおう)」。
 
浅草神社の社殿に描かれた鳳凰

漆塗りと鮮やか色を用いた浅草神社の社殿の左側
社殿には三つの霊獣(架空の生き物)が描かれていた。
●麒麟(きりん):体は鹿、頭は狼、尾は牛、足は馬、そして角を持つ。虫も踏まず草を折る
 こともない霊獣。
●飛龍(ひりゅう):体が魚で翼をもつ動物。胴が短く尾びれがあり水を司る霊獣。
●鳳凰(ほうおう):アオギリという木に宿り、竹の実を食べ、醴泉レイセン(甘い水の泉)の
 水を飲み、聖天子出生の瑞兆として出現すると伝わる霊獣。
鳳凰と麒麟は中国の古代思想における「四神」の霊獣であり、仏教の影響が強いことが分かる。
平成六~八年の大修営によって修繕され、もとの荘厳さが再現されたのだ と。



麒麟(きりん)」。
 


飛龍(ひりゅう)」。
 


天井画(てんじょうえ)」をネットから。

浅草神社~下町の人情が生んだ神様、三社様(さんじゃさま)~|神社専門メディア 奥宮-OKUMIYA-

社務所横にあたのが、末社被官(ひかん)稲荷神社石鳥居



正一位 被官稲荷神社」。
 


石鳥居の柱には「新門辰五郎」と。
被官稲荷神社の始まりは 19 世紀にまでさかのぼります。
当時、浅草の町火消の親分に 新門辰五郎(しんもん たつごろう)という人物がいた。
1854 年(安政元年)、新門辰五郎の妻が病気になりました。新門辰五郎は、京都の
伏見稲荷大社(ふしみ いなり たいしゃ)で彼の妻のために祈った。伏見稲荷大社は、
稲荷神社の総本宮(おおもとの神社)。
その甲斐あって、新門辰五郎の妻は回復。彼は伏見稲荷大社にとても感謝した。
1855 年(安政 2 年)、新門辰五郎は、伏見稲荷大社の稲荷神を浅草に勧請(かんじょう)した。
勧請とは、神さまや仏さまの分霊(分身)を他の場所で祀ること。
これが被官稲荷神社の始まりである と。
 


上野 加藤氏」とも。 



安政二夘(卯)年(1855)九月立之」 と。



参道を進むと、三連石鳥居が姿を現した。



近づいて。
石燈籠にも「新門」と刻まれていた。



三連鳥居の3つ目の鳥居の扁額の上下には狐があしらわれていた。



そして「被官稲荷神社 社殿」。
 


社殿の鞘堂?の柱、梁を見ると歴史を感じるのであった。

f:id:rider883:20180515084037j:plain

被官稲荷神社

          台東区浅草二丁目三番一号
安政元年(一八五四)、新門辰五郎(しんもんたつごろう)の妻女が重病で床に伏したとき、
山城(現、京都府南部)の伏見稲荷神社に祈願した。その効果あって病気全快、同二年、お礼の
意味を込め、伏見から祭神を当地に勧請し、小社を創建して被官稲荷社と名付けた。名称の由来は
不詳だが、被官は「出世」と解せば良いという。 
辰五郎は上野寛永寺住職輪王寺宮の家来、町田仁右衛門の養子。本姓は町田であった。輪王寺
宮舜仁法新王が浅草寺伝法院に隠居し、上野へ行くのに便のいい新門を造った。その門の番を
命じられたので、新門辰五郎と呼ばれた。辰五郎は町火消十番組の組頭としても、多彩な活躍を
した。
社殿は一間社流造(いっけんしゃながれづくり)、杉皮葺。創建以来のもの。間口約一・五
メートル、奥行約一・四メートルと小さいが、覆屋(おおいや)を構えて保護している。
覆屋は大正期の建築物であろう。
社前には、「安政二年九月立之 新門辰五郎」と刻む鳥居ほかがある。

平成四年十一月
                   台東区教育委員会」 



狛狐(右)。
社の一番手前のお狐さん。右が食いしばった形の阿形で子抱き。



狛狐(左)。
吽形で鍵を抱えて。



ここにも。右が阿形で宝珠を抱える。


左が吽形で鍵を抱えるのであったが・・・。
目つきは左右全く異なるが、全体的な造作は同じか。



社殿右脇には奉納された数え切れない数の鳥居が。



小さな石の祠もあった。



社殿に近づいて。



「神拝詞 三唱
祓え給い 清め給え
神ながら 守り給い
幸(さきわ)え給え
ニ拝ニ拍手一拝」 



御供所」。



被官稲荷神社の名物」と言えばコレ。
お姿」と呼ばれる、白狐の姿をした陶器製の置物。今戸焼(らしい)



ズームして。
曼陀羅の如く数百並ぶその様子は、どこか異世界の不思議な住人に出くわしたかのよう。



狐の顔の形の絵馬



「浅草神社」の社殿前まで引き返して。 
被官稲荷神社島居を御奉納いただいた皆様へ お知らせ
平素より当社へ格別なるご厚情を陽り、心より感謝申し上げます。
諸般の事情により、泰納島居につきまして今後下記の通り規定変更及び仕様・規格改定を
させていただきます。
何卒ご理解の程、お願い申し上げます。
①お申し込み
 ご希望の奉納日の5日前までの受付とさせていただきます,
②お焚きをげ
 奉納場所が埋まった場合のみ、6月末にお焚き上げする場合がございます。
 (※通常は毎年12月末にお焚き上げします。)
③浄書内容
 ご芳名・願意・宝納日のみ記載と致します。
 個人情報保護の観点から住所の浄書は致しませんが、御神前にてご芳名・願意と共に
 奉唱させていただきます、
④大きさ・形状
島居〔大〕                  島居〔小〕
旧:高さ 約1m30cm  幅1m30cm  旧:高さ約55cm  幅55cm
                         ⬇️               ⬇️ 
新:高さ 約1m10cm  幅1m      新:高さ約72cm  幅60cm

笠木・貫は平板、柱は丸棒です。なお、初穂料の変更はごぎいません。
                         被官稲荷神社社務所」 



「社殿」を左側から。



正面に三柱の御祭神の名が刻まれた「三柱の碑」。
浅草神社の宮司が、ご祭神の御名である「土師」姓の名跡を改めて継がれる慶事を記念して、
平成30年3月に建立された。
社紋と海を表す意匠に三柱のご祭神の御名が刻まれ、観音様との御縁や浅草草創の経緯と信仰を
伝え記すと共に、地域社会の更なる隆盛への願いが込められている と。
 


浅草神社の三体の御祭神
中央:土師真中知命(はじのまなかちのみこと)
右:檜前浜成命(ひのくまのはまなりのみこと)
左:檜前武成命(ひのくまのたけなりのみこと)



「推古天皇三十六年(西暦六二八)三月十八日早朝、檜前浜成・武成の兄弟が江戸浦で漁労中、
投網の中に一体の仏像を感得し、これを土師中知が拝された聖観世音菩薩の尊像であることを
知り、自ら出家し屋敷を寺に改めて深く帰依した」
これは『浅草寺縁起』に記された浅草寺の起こりであり浅草草創のお話です。
後に土師中知は「土師真中知命 ( はじのまなかちのみこと )」として、「檜前浜成命
( ひのくまはまなりのみこと )」「檜前武成命 ( ひのくまたけなりのみこと )」と共に、
浅草寺本堂の傍 ( かたわ ) らに「三社大権現 ( さんじゃだいごんげん )」として祀 ( まつ ) られ、
また、その子孫は「専堂坊 ( せんどうぼう )」「斎藤坊 ( さいとうぼう )」「常音坊
( じょうおんぼう )」の名で「三譜代 ( さんふだい )」と称され、僧侶として代々浅草寺に
仕えられました。
「専堂坊」を称した土師家「三社権現社」の社僧としても仕えてきましたが、明治元年に政府より
発令された神仏分離令において社名が「三社明神 ( みょうじん ) 社」に改められ、専堂坊職で
あった。
「土師忠英 ( ちゅうえい ) ( 土師五十九世専堂坊 )」は同社に移って祀官 ( しかん ) となり、
名を「土師長夷 ( ながきよ )」に改め神職として奉仕されました。
激しく変動する時代情勢の中に、奇 ( く ) しくもその後は「土師」の名称を継ぐ事が慮
( おもんばか ) られ、それを機に改姓せざるを得ませんでしたが、この平成の御代 ( みよ ) に
おいて、氏子崇敬者の総意を以て、浅草神社宮司職として「土師」姓を改めて継がれる運びと
相成りました。
「三社権現社」の社僧から始まり「三社明神社」の祀官を経た「浅草神社」の宮司の姓は
「土師」が本来であり、我が国の歴史と文化を背負っていることは、我々浅草の氏子や崇敬者に
とっても誇りです。
本年は観音様と称される聖観世音菩薩の御示現 ( ごじげん ) より一千三百九十年の節目となり、
十年後には一千四百年の慶事の都市を迎えます。
玆に、今もなお三社様と親しまれる浅草神社三柱 ( みはしら ) の御祭神の御名 ( みな ) を記した
「三柱の石碑」を建立し、連綿と続く「土師」の系統を基に、観音様と三社様の御縁や御由緒、
そして浅草草創の歴史的経緯とその信仰を、浅草内外に向けて広く発信すると共に後世へ伝え記し、
浅草神社の弥栄 ( いやさか ) と地域社会の更なる隆盛を切に願うものであります。

                  平成三十年三月十八日」
 



観世音菩薩 夢告
汝等の親は我を海中より薫護せり。故に慈悲を万民に施し今日に及びしが、その感得供養の功は
賞すべきなり。即ち観音堂の傍らに神として親達を鎮守すべし、名付けて三社権現と称し齋祀らば、
その子孫・土地共に永く繁栄せしむべし。」 



お近くの神社を紹介
浅草富士浅間神社(あさくさhuじせんgeんじんじゃ)
御祭神 木花咲耶比売命(このはなさくやひめのみこと)
御神徳 安産、病気平癒、疱瘡(疫病除け)
御由緒 富士山の神様をお祀りする神社。富士信仰が最も盛んだった江戸時代に静岡県富士宮市の
    浅間大社より勧請・分祀されました。
例大祭 七月一日
植木市 五月・六月最終土日」
 


浅草寺周辺案内図」 



近づいて。



宝篋印塔」。
 


宝篋印塔(ほうきよういんとう)
「宝篋印塔」とは、『宝筺印陀羅尼(ほうきょういんだらに)という経典を収めたことに由来
する仏塔で、日本では主に石塔婆の一つの形式として盛んに造立された。
ごの塔は江戸時代中頃の安永四年(一七七五)に、境内にかってあった荒澤不動堂の實圓を
導師として造立され、銘文は江戸深川に住む書家の三井親和によって揮毫された。
塔の四方には、「宝篋印陀羅尼」の経文の一部が刻まれており、「お経を書写して奉安し、
礼拝供養する者は、過去の罪障が消減する」など、計り知れない功徳を得ることが説かれている。
功徳を得ることを願う人々の祈りの声が聞こえる。
                       金龍山浅草寺」



「宝篋印陀羅尼」の経文の一部が刻まれていると。







そして「一葉観音」。
 
本堂裏築山周辺 | 浅草大百科

近づいて。
寛政9年(1797)造立。秩父三十二番札所の本尊の模刻。頭上に笠をかぶって手にかいを持ち、
蓮の花びらを舟に模して乗っている唐銅製の観音像。その一葉観音菩薩像は1797年、
新吉原江戸町の質両替業万字屋の佐野ひで女によって寄進された。ひで女の子である久次郎は
当時14歳。ある日、品川沖に遊山へと出かけた際に、不幸にものり船と衝突、水難死してしまう。
そこで子の霊を弔おうと思ったひで女は、浅草寺と本所回向院と菩提寺の三ヵ所に数年を費やして
一葉観音菩薩像を建立したという、寄進に関する言い伝えがある。今でもこの菩薩像は観音本堂裏に、
金網で囲まれて安置されている。



移動して。



ネットから。



一葉観音
埼玉県の秩父三十四観音札所の第三十二番法性寺の観音像を模して造られた。蓮の一枚の花びらの
上に乗り、楫を持ち、笠をかぶったお姿。
新吉原の「ひで」という女の十二歳の息子久次郎が、水難事故によって亡くなったことを偲び、
息子の菩提のため、また今後このようなことのないようにとの、「ひで」の願いによって
造立された。
寛政九年(一七九七)に造立。唐銅製。
                      金龍山 浅草寺」 

浅草大百科にはもう少し詳細が記されていて、一部抜粋すると、
「新吉原江戸町の質両替業万字屋の佐野ひで女によって寄進された。ひで女の子である久次郎は
当時14歳。ある日、品川沖に遊山へと出かけた際に、不幸にものり船と衝突、水難死してしまう。
そこで子の霊を弔おうと思ったひで女は、浅草寺と本所回向院と菩提寺の三ヵ所に数年を費やして
一葉観音菩薩像を建立したという、寄進に関する言い伝えがある。」と。




                                   ・・・​もどる​・・・



                ・・・​つづく​・・・






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Last updated  2025.05.25 05:00:33
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