過去のコンサートの話。
季節はずれの冬眠から覚めてみました。風邪が治りきらず、ずーっと気管支の中でくすぶり続けています。最近の流行なのだそうです。えっへん。流行に乗っちゃったぞ。…ちっとも嬉しくないんですが…。ちょっと前になりますが、またコンサートに出かけました。新日本フィルハーモニー交響楽団、すみだトリフォニーホールにて。6/14、かな。ツィンマーマン作曲 1楽章の交響曲 ラヴェル作曲 左手のためのピアノ協奏曲 ヒンデミット作曲 交響曲 「画家マティス」 指揮:クリスティアン・アルミンク ピアノ:舘野 泉 いずれも聴くのは初めての曲。「1楽章の交響曲」、あまりいい印象が残らず…。出だしの不協和音の衝撃に怯えて意気消沈、というか。でも、チェレスタ&ピアノも含めて打楽器の方がいっぱいいらっしゃって、そのお仕事っぷりを見ているのは面白かったですね。(この楽しみ方、ショスタコーヴィチ5番のときに似ている…)「左手のためのピアノ協奏曲」は戦争で右腕を負傷したピアニストのために作曲されたとのこと。タイトルどおりピアノは左手一本のみで演奏する曲で、御病気で左手中心の演奏活動に切り替えられたピアニスト舘野氏の左腕五本の指が奏でているのだけれど、到底そうとは思えない音の厚み。低音を保持している間の響きが私好み。全体に少し哀しげな曲調で、ちょっとジャズ風のモチーフもいっぱい。(といっても、やっぱりジャズとはノリが違うと感じるけれど)とてもキラキラとした響きを持つ演奏とあいまって、この上なくオシャレ。ところでホールで貰った解説冊子には、こんな記述が。「若い作曲家に向かって、「もし君たちの誰もが私のように働くならば、私と同じ結果が得られるだろう」と宣ったのは、オーケストラの魔術師モーリス・ラヴェル(1875-1937)である。傲慢さすら感じるほどの、己の職人性に対する信頼と自信っぷりだ。」(渡辺和『Program Notes』2008.June)うーーーん。えーと、つまり、「私のようになれないのは努力が足らんのだ」「頑張らないオマエが悪い」ってことでしょうか…??げー。こういう意見、最近よく聞きますけど。絶対、ぜっったい、そんなこと、ありません!!…って思ってるんですが。だって、「私のように働く」ための条件が全て万人に揃ってる、スタートラインや環境が全員同じだったらいいんですけどね。そうじゃないじゃん。けど、まあ、「これだけ凄いもの作れるんだったら、何を言っていようと、たとえどれだけ傲慢だったとしても、いいか」という気分にさせてくれます。ラヴェル先生に関しては。…お友達には絶対なりたくないけれど…。「画家マティス」、これはヒット。いずれCDを買いたいし、演奏機会があれば行ってみたいとも思いました。金管楽器が活躍する場面が多い印象の曲ですが、特にフルートが際立っていたように思います。(この主席フルート奏者さん、とても素敵です。と毎回思います。)画家マティスの作品であるイーゼンハイム祭壇画と、それを製作する彼自身を描いた歌劇が当初作曲され、それをまとめなおしたのがこの交響曲。第三楽章の、「聖アントニウスの誘惑」が何とも怪しくて妖しくて。魅力的です。もともと歌劇だったのがどうして交響曲になっちゃったのか知りたい、それから是非この祭壇画を見たい、という気になり、ネット上で探してみたりして。 「だから何やねん」第21講「画家マティスをめぐって」長岡シティアンサンブルの団員向け広報紙のコラム記事を所収。上記↑のページ下部にある参考文献のリンクのうち、上から3番目(Wikipediaの下)には、イーゼンハイムの祭壇画の画像が掲載されていました。ところで、聖アントニウスって、マーラーの交響曲第2番『復活』の3楽章で魚に説教をしている彼でしょうか。と思って調べてみたら、どうも違うようです。ヒンデミットの描いた聖アントニウスは中部エジプト出身、西暦251~356の人、マーラーの方は「パドヴァの聖アントニウス」というそうで、ポルトガル出身西暦1195-1231なのだそうだ。ふーーん。なんだかだらだら長くなってきたので、ここでおしまい。です。