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カテゴリ:ファッションビジネス
今週、中国のコンサルティング会社経営の金時光さんが来日、ニュージーランド産極細メリノウールプロジェクトのミーティングがありました。金さんとの交流のきっかけはIFIビジネススクールの教え子だった齋藤孝浩さん、1年半前金さんが引率する中国アパレル経営者訪日研修団での講演を齋藤さんから頼まれたのが始まり。以降何度も東京や中国各地で金さん主催のセミナー講師に招かれ、中国アパレル業界の幹部たちにブランドビジネスのあるべき姿を伝えてきました。
中国人経営者に講演すると、彼らはすぐに次の行動を起こします。日本企業のようにセミナー後「いいお話を伺いました」では終わりません。「この話を社員にしてもらえませんか」と社員研修を頼まれたり、アドバイスしたことをすぐビジネスに取り入れようとします。講演後の彼らの行動力には毎回驚かされます。 と同時に、かつて日本の経営者も貪欲に欧米の先進事例から学び、行動したはずなのになあと思います。近年日本の経営者は概してアクションが遅いように感じます。 ![]() 1994年秋にスタートしたIFIビジネススクール 前項でIFIビジネススクール夜間プロフェショナルコース2期生同窓会のことを書きましたが、この中で触れた元ナイガイ山縣恒大社長(2003年急逝)は私の中ではとても印象に残るアパレル企業経営者でした。 どなたが言い始めたのかは知りませんが、日本のアパレル経営者は時々自虐的に「アパレルメーカー」ではなく「アバレルメーカー」とおっしゃいます。企画部門のクリエーションや商品クオリティーではなく、営業部門が小売店に向け大暴れして売り場を拡げてきたから「アバレル」ということなのでしょう。 日本の業界は買取形態のビジネスではなく、売れ残った商品を小売店から引き取る委託販売、あるいは場所貸し消化仕入れ形態、だから主導権はいつも納入者側アパレルメーカーにありました。小売店側は暴れるアパレル側営業部門幹部に押し切られ、現場のバイヤーがブランド導入にネガティブであっても政治力で売り場を作る、小売店現場がブランド撤退を計画しても幹部との蜜月関係で踏みとどまる、日本市場はそんなパワーバランスでした。 どんなアパレルメーカーにも宴会部長のような明るい幹部が一人はいたものです。そんなとっても昭和な時代でも、山縣さんは物静か、業界の宴席ではひとりクールな紳士でした。一緒に飲みに行っても騒がない、大声出さず静かに飲む、カラオケも唄わない人でした。武田信玄に仕えた「武田四天王」のひとり山県昌影の末裔らしいと聞いたことありますが、クールな姿勢は甲斐の武将血筋ゆえなのかもしれません。 IFIビジネススクールで1994年に一期目実験講座を始めたとき、ナイガイはアパレルマーチャンダイジングのクラスに若手社員を参加させました。しばらくして山縣さんと会食したとき「うちの社員はちゃんと勉強していますか」と質問されました。Kくんはクラスでも目立つ優秀な若者ですよと返したところ、山縣さんは受講終了後早々とKくんを役員に抜擢しました。年功序列がまだ色濃い時代、いくら実力社長であってもなかなかできることではありません。 山縣さんには思い出深いエピソードがあります。 私のCFD議長退任記者会見直後山縣さんは松屋の古屋勝彦社長との会食がありました。そのとき業界紙報道もあったので「太田さん、次はどこに行くんだろう」と山縣さんが発言したら、古屋さんは「それが、うちなんだよ」。びっくりした山縣さんは、当時阪神タイガースに巨額報酬で入団して話題になっていたセシル・フィルダー(阪神では全く活躍せず翌年デトロイトタイガースに移籍して2年連続本塁打王になったメジャーリーガー)みたいに高いギャラで私をスカウトしたのかと訊いたそうです。 その話を古屋さんから教えてもらった私は、「次にどこに行くかはまだ口外しないでください」と記者発表までは秘密にとお願いしました。するとすぐに松屋幹部から山縣さんにわざわざ口止め連絡したら、「僕は口堅いよ。古屋社長は僕のこと疑ってるのか」と珍しく怒ったそうです。付け加えると、古屋さんは「(フィルダーじゃないので)案外安かったよ」と答えたとも聞きました。 お元気そうに見えた山縣さんでしたが、残念ながら2003年に急逝、上智大学構内の聖イグナチオ教会での告別式に私も伺いました。その後主力ブランドだったラルフローレンのポロシャツ販売契約が切れたこともあってナイガイの業績は急降下しましたが、もしも山縣さんがご存命だったら会社はどうなっていただろうと思ってしまいます。決断力ある冷静な経営者の逝去、会社にはかなり痛手だったでしょう。 近年、人の話を聞いてすぐ行動するアパレル経営者は本当に少なくなりました。と同時に元気ある「アバレル幹部」もとんと影を潜めました。成長してきたアジア市場に打って出た日本アパレルのほとんどは成功おさめることなく撤退続き、海外市場で確実に業績を伸ばしているのはユニクロだけと言っても過言ではありません。 IFIビジネススクール設立に奔走していた1980年代後半、優れたファッションデザイナーは服飾専門学校がたくさん輩出してくれましたが、世界に通用する経営者やマーチャンダイザーはあまりに少ないので、プロを育成するための高等教育機関を作りませんかと役所や業界に言い続けました。自分も私塾「月曜会」をCFDオフィスに開講してIFIが誕生するまで売り場の見方やマーケティングの基本を若者に指導しました。 が、あの頃もいま現在も、デザイナーは次々登場するものの世界相手に勝負できるビジネスマンは少なく、業界の風景はほとんど変わりません。クリエーションをしっかり受け止められる優秀なマーチャンダイザーやすぐ行動する経営者、日本でもっと出てきて欲しいですね。 前項で山縣さんにちょっと触れたのであれこれ書いた次第。山縣さんの顔写真はネット検索しても出てきませんでした。どなたかお持ちならお知らせください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2025.04.27 20:20:25
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