若い時から「承認要求」。
親に褒められたい(褒められたことない)。
仕事で褒められたい(評価されたことない)。
人から感謝されたい(献血を継続、もうすぐ150回)。
人から注目されたい(ブログを約20年間、ほぼ毎日継続)。
凄いと思われたい(毛勝山周辺での山スキーの数々)。
認められないストレス(酒を大量に飲む)。
認められないストレス(国道8号線での時速〇〇km)
認められないストレス(うつ病で通院)
認められないストレス(〇〇〇〇w)
15歳から行動原理は変わっていない。この歳まで「認められたい」と思いながらさまよっている。
人生は残酷だ。何をしても認められることはないのだ(特に仕事)。
所属する山岳会においては、自分の地位は低下気味。かつて会長になったけれど、コロナ禍で大したことができなかった。そして組織を引っ張るような性格ではなかった。
現在の立場は、クライミングも満足にできない、精神的に弱い人。例会山行であんなことをしたから、白い目で見られている。
2010年代は長く現役代表として会を引っ張っていたと思っていたが、それは妄想だったですか?
ブログやフェイスブックで山行記録を上げて注目されたことで、新規会員を多数獲得した中興の祖だと思っているが、それは自分の思い上がりですか?
G会を存続させるために、一生懸命やってきたと思っているが、現在は、A隊にも参加できない、おみそな会員と認識されているのですか?
自分自身のアピール不足なんですかね。クライミングは苦手だが、それ以外は結構やってきていると思っている。現在のG会はクライミングで盛り上がっているので、できない奴は劣後扱いである。
山は色んな楽しみ方があるので、クライミングが至上ではないと思っている(アクティビティの優劣の比較がそもそもできない)。
そうは言っても、雑穀谷のオラッチャロックのあれすら登れないヘッポコなやまやろうは、見下されるだけである。
クライミングは全然できないが、山スキーはエクストリーム系を滑ってきたし、沢登りは地域研究したくらい遡行多数だし、雪山でのラッセルは上手だし、何で見下されるのか理由が分からない。
山岳会の基本中の基本の、クライミング技術がクソだから、軽蔑対象なのですね、そうですね。
月末のロープワーク訓練では、おみそにならないように頑張りたいと思います。

精神状態、崖っぷち。